みなさんこんにちは。南浦です。
「これからの社会科研究会」と銘打ってはじめたこのオンライン研究会ですが,立ち上がろうとした矢先のメンバーの出産,「オンライン」という構造上難しい発信の問題などがあり,遅々としてうまく進んでいない面もあります。以前のように学校現場の先生を巻き込んだ「朝活」「夜活」のような形で満足に動かせない状況もあります。
どうぞお許しください。少しずつ,「今-ここ」の状況から最善の活動をしていきたいと思っています。
さて,2016年度に入り新たな活動を考えていきたいと思っています。
上にも書いたようなメンバーの状況も刻一刻と変わる中,定型的な活動を構築できずにいますが,もともとの研究会の始まりのキーワードには「実践を状況的に考えていくこと」「当事者として実践をどう記述するのか」というキーワードが間違いなく入っていました。まずはそこからということで,メンバーの中でも大学教員であり,(いいのか悪いのかは別として)日中にスカイプ会議を行う時間を取りやすい後藤・川口・南浦の3名がまずはスカイプで今年の自分たちの実践を行う状況,そこでやろうとしていることを共有することになりました。
今回は,こうした互いの仕事の状況や立ち位置,そこでやろうとしていることについての話になります。
南浦の場合
まず私,南浦は2016年度にあたって大きく職場状況が変わりました。2015年度まで,約5年半いた山口大学での小学校総合選修と社会科教育選修の兼任の仕事から異動になり,4月から東京学芸大学の国語教育の中の,日本語教育分野の担当をしています。
大学教員にとって職場である大学の異動自体はままあることですが,その中で「専門分野の異動」を同時に行うことはそれほど多くなく,私にとっても「これまで」をそのまま移した形はできず,新たな教育実践を模索する状況になりました。
ここでの私にとってのミッションは,「日本語教育」という学校教育の世界にとっては馴染みのないキーワードの領域を,学校教育の教員養成として行っていくことにあると捉えています。
従来の「日本語教育」は基本的にはその対象の学習者を,留学生や日本語を学びたい外国人,技能研修生や地域の在住外国人といった「成人」を対象にしていました。ところが,グローバル化の中で,近年学校の中には必ずしも「日本語を母語とする日本人の子ども」だけではなく,両親や一方の親が外国につながりを持っている子どもたちが相当数増え始めています。こうした子どもたちに対する日本語指導,あるいは教科指導やアイデンティティの問題,受け入れ側の教室や学校,地域のあり方の問題は非常に重要な課題となっています。
ところが,多くの大学の教育学部にある教員養成のカリキュラムの中では,こうした問題を扱う場が存在していません。逆に日本語教育のコースは上述のような経緯から「成人対象の日本語教育の教師育成」を前提として動いていることもあり,「教員養成カリキュラムとしての日本語教育」というのはなかなか現実的には構築されていないというのが現状にあります。
東京学芸大学も,2015年度からの教育学部改組に伴って,従来独立的に存在していた「日本語教育コース」は,「国語教育コース」の中の一分野になりました。これは私にとっては一つのビックチャンスだと捉えています。高校までに子どもを対象とした日本語教育の存在に触れるチャンスはもともと少なく,そうした針の穴をさすほどの数の学生にのみ専門的見地を伸ばしていくよりは,「日本語教育には全く関心はなく,『国語の先生になりたい』『学校の先生になりたい』と漠然と思っていた学生たちに対して,『日本語教育』の視点をつけていく,また,『日本語教育』の観点を得ることによって従来の学生たちの素朴な『国語教育観』『学校観』『教師観』を再構築させていく」ことの方が,より大きな意味を持つと考えています。そうしたカリキュラムを作っていきながら,実践をしていこうと考えています。
後藤の場合
後藤さんは,山梨大学で3年目を迎えます。
その中で,今回一つ行わなければならない実践として「地域指向型」の授業をしなければならなくなっています。
近年,多くの国立系大学では,「大学の地域的貢献」は一つの重要な教育課題になっており,そうした流れは大学の授業にも反映してきます。(南浦も山口大学時代に『山口と世界』や『コミュニティデザイン演習』でそうした実践を行っていました)
後藤さんが考えているのは,「自分と山梨」というキーワードをもとにすることと,もう一つは「キャリア形成」の視点を入れていくことが課せられた課題となっているそうです。
もともとは別の先生が始めたもので,「将来の夢」とか「職業学習」のようないわゆる小中高で職業調べをするようなところから始まっていたものに,「地域」の視点をどういれるかが後藤さんの検討課題となっていたようです。
私(南浦)がこの話を聞いて思い出したことは,山口にいた時に「山口と世界」での雑誌作りをする実践を通して得たさまざまな地域の人たちのことでした。その中で,よく私が用いていたフレーズが「就職するということと仕事をするということは違う」という話です。
この元ネタは『就職しないで生きるには』(レイモンド・マンゴー,晶文社)という本ですが,私たちは学校の教育の中で「どの職業に就くか」という話は大変多くします。しかし「どのように仕事をするか」の話はあまりしない。就職しようがしまいが,いずれにしても「学校」という場を出た後は,私たちは食べていかなければならず,住まいを得ていかなければならず,そのためには金を稼がなくてはならない。金を稼ぐためには他者に何かをしていかなけれならない。そうしたことの行為の中で「仕事」が生まれ,生活サイクルが生まれていく。「就職」というのはそのサイクルを自分に作る最も単純な形の一つに過ぎないということ。
山口で出会ったたくさんの人たちの中には,「就職していないけれど仕事をしている人たち」はたくさんいたし,その人たちは常に社会的行為の中で仕事と生活を行っていました。ところが,学生たちの多くは,「仕事」の話ではなく「就職」の話をする。ゆえに,「就職できなかったとき」を「負け組」と捉えたりしがちになる。「地方」という場で仕事を考えていこうとした時,実はこういう視点はとても重要なのではないだろうか,と思っています。
川口の場合
川口さんは滋賀大学で4年目を迎えます。
今年の一つのミッションとしての一つに,「歴史教育を考える」ということを柱においているとのこと。川口さんはもともと「シティズンシップ教育」の研究をしていたため,海外との教育比較やどちらかといえば公民的分野に軸足を置いていたのですが,大学院生で「歴史教育」をやりたいという学生が多いこともあって,「多元的社会の中での歴史教育」を考えることをしたいと思っているようです。
南浦自身が大学生の頃は滋賀大学の学生だったこともあるので,記憶に残っているのですが,社会科教育の選修で4年間過ごしていましたが,なかなか「社会科としての歴史」という観点は学生時代に持ち得ないものです。「歴史とは歴史を教えることなのだ」という前提は強くあって,「社会をよりよくする観点を持つために,市民的な資質をつけるために歴史を学ぶのだ」という観点はほとんどありませんでした(私だけかもしれませんが)。
今もなお,学生たちの意識の中にそうした視点は多分にあるでしょうし,「学校教育の中で歴史は何のために行うのか」を再構築していくことは重要かもしれません。とくに,文学部的にゼミの個別指導を主体におく大学では,自分の所属する学問ゼミが絶対的になりやすくもあり,学生たちにとっては新しい刺激になるのではないかと思います。
もう一つのミッションは,「評価問題」の捉え直しの授業だそうです。こちらは,滋賀県の高校入試が次第に変わりつつあり,「思考力」を測る評価問題が増えているとのこと。ところが当の学生自体はとても素朴な「評価問題観」を持っており,このままでは「テスト」の変化に学生が全くついていけず,結果的に旧来のテストイメージで授業をしていきかねないという危惧だそうです。
そのために,高校の評価問題の分析をしていきながら,何が問われているのか,だからどうすればいいのか,を考えていきたいとのこと。
このように,私たちも新年度にあたって,新しい職場状況,あるいはこれまでの職場の中で見えてきた学生の課題やあらたな大学としてのミッションを見据えながら,自分たちの実践を始めようとしています。
「実践を当事者として語る」という「これからの社会科研究会」の一つの柱を自分たちでも行いつつ,2016年,新しい研究会としての試みも考えていきたいと思っています。(メンバーの1人,私はついに担当部署は「社会科」ではなくなり,また変化していくかもしれませんが・・)
どうぞひきつづき,よろしくおねがいします。